2015年末に心屋さんが前者後者の話を公開したのを受けて、2016年年初も前者後者論が界隈のブログやSNS上で活発に盛り上がっていました。
そこにはウィットに飛んだ発信も、「こういうことですね!」みたいな自分の例を紹介した発信も、「そうなんですよ!」と笑うネタも多かった一方で、
お互いが「なんでわからないんだ」「どういうこと?全然わからない」「~じゃないですか!」みたいなやり取りでこじれている姿を何度も見かけました。
疑問やクレームがまっすぐ伝わらないことにムキになる後者、
ゾンビのような群れに絡め取られて打ちのめされて傷つく前者。
それを斬ってすててまた感情的に反発される前者。
言われている事自体は理解しつつも納得がいかない後者。
中には論外のひどいのもありましたが
そういうのをさておいても
お互い常識的にあろうとしていたり、誠実に/親切にあろうと意識していてなおそんなことが起こってるのが見える。そして「ひどい」「なんなんだ」という話になる。
なぜだ?
そしてこのすれ違い方の「なんとも言えない感じ」「どうしようもない感じ」には
私自身も何度も経験がある。そのたび思ってきた。
なぜだ?
これが私だけに起こることだけではなく、この集団規模で全く同じことが起きているということはつまり個人的な話じゃないということだ。
まさに前者後者の違い・・・・
誰も気づいていない違いが「何か」ある。
本当に人間が2つに分かれていたとしたら。
そして(すれ違い方を観測していると)明らかに共通したパターンがある。
伝わらない原因、一方が未だ想像もしていない/想像外過ぎて思いつきもしないなにかの前提の違い・・・・。
それはなんだ?
頭の中で、直接的間接的経験で感じてきた違和感のすべてがつながって
今なにかのパターンを訴えている。
前提の違い。
我思うゆえに我あり、の手前でありながら
誰も疑ったことがないほどの前提の違い。
前者と後者の性質を決定的に分け、
現実に起きているこのすれ違い方を説明する何か。
それはなんだ?
・・・・・・・。
・・・・・・・。
一瞬、会社員時代の記憶がフラッシュバックして
そして気づいたのです。
あ????!!!
それは何をどう何度シミュレーションしても死角のない
完璧な「答え」でした。
『【拡散希望】後者による 「後者に何が起こってるのか/前者との決定的な違い」』より
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端的に言うと、後者型の人って、
他人の視点になるのが苦手なんです。
とにかくこれに尽きます。
図にするとですね。
○後者が把握してる(心理的)視界/(図上)
○前者が把握してる(心理的)視界/(図下)
矢印は視点です。
見たらわかると思いますが、後者は一言でいうと自己中なんです。
これ混同しないようにして欲しいんですが、「人の気持ちがわかる」かどうかとか、「人のことを考えてる」かどうかということではなく、「他人の視点に立てているか」という視点の方向の問題です。
…
一方前者は、
最初から自分以外の複数の視点を同時に把握できています。
他人から自分がどう見えているかも常に意識に入っています。
…
衝撃じゃないですか?
…
…
こう考えると全て説明がつくのです。
…
【拡散希望】と銘打って沢山の人に広めてもらいましたが
後にも先にも、真に
自分ことなんてどうでもいい
なんて心境になれたのはあの時だけですね。
心屋さんの切ってみせた「前者後者」という境界線が、
人類レベルの「大発見」だと私は確信しましたし、心理業界に留まらない影響もあるはずで、多くの人の葛藤と疑問とすれ違いに決着をつけるはず。
誰もしないなら私が発信しなきゃいけない。
ていうかその前に気づきが頭の中でビッグバンしていて
吐き出さないと死ぬ。
その後この視点の違いだけではなく、前者と後者の仕組みとしての違い(一方が人類共通レベルの当たり前だと思って、一方がそうではない)が更に浮き彫りになり、前者後者を体系付ける活動が始まり、今に至ります。