もちろん
何かひとつの属性をとって 人間の全てが語れるようなことはありません。
ある見方においてそうだ、
ある要素においてそうだ、
という話です。
でも、タイプ論の功罪というか、あるタイプを概説すると、まるでそれだけが全てのように、見えてしまうし聞こえてしまう、ていうことはありますよね。
そのことに対する反発は、健全でまともなものと思います。
ただ「人間が2つに分けられるか/ ないか」といったら
分けようと思ったら、別にどんな分け方もできる んですよ。
で実際、誰しも何かしら分けて使っていると思うのです。
男か女か
右利きか左利きか
湯船に毎日入る派か、そうでないか
タバコを吸うのか、吸わないのか・・・
だから気にすべきは
例えば
①「その分け方に意味や価値があるのか」(効用)
②「その分け方がどこまでの範囲や影響を持っているのか」(射程)
③「その分け方で考えることが、この場合(対象/ケース)に適切なのか」(適用)
④「もっと優先するパラメータはないか」(選択)
をチェックすることではないでしょうか。
前者後者論についても、①~④のような意識でご指摘をされる方が増えることは、私にとっても世界にとっても幸いなことだと思っています。