認識の仕方や、意識のあり方が違う前者と後者は
情報処理の仕組みも異なります。
それは
人によっては最大の謎かもしれない
「ふつう」ってなんだ?
の答えにもつながっています。
前者と後者の最大バトルポイント
「ふつう」
この謎も解けちゃう
2つの情報処理の形を見てみましょう
WindowsとMAC
iOSとAndroidのように
似たような見た目で
似たようなことができるように見えて
仕組みが違う。
それをみんなが知らずに
「このPC/スマホってさ~」
とか話をしているみたいな感じです。
優劣ではないし
なにかのアウトプットができるかできないか
て話でもないですからねー
●「同じようなこと」ができても プロセスや負荷が異なる
● 得意・不得意も違う(どちらかにできないこともあります)
● 合うアプリ(ノウハウ)が違う
● つくりの「思想」とでも言えるベースが違う
ということです。
そもそも、男女もそうですが、
人類その2つでやってきましたからね。
では、具体的にどういうシステムの違いなのでしょうか。
たとえるなら、頭の中に
フォルダや引き出しがあります。
頭の中で情報が
カテゴリーで仕分けられているのです。
「食べ物」→「果物」→「りんご」
「食器」→ 「コップ」→「マグカップ」
一時置き場 のようなものもあったりするので
(メールの受信トレイみたいに)
それが全くない人、狭い人、大きい人
収納までのスピード感が個人差あるので
本人の感覚はまちまちと思いますが
ともかく最終的に、
何かラベル名がついて情報が蓄積されていく。
・・・・。
ここまで読んで、
当たり前な人には当たり前すぎて
え??何?何をを言っているんだ?
というレベルの感じでしょうが
それ、当たり前じゃないですからね。
後者はそうではないので、
後者と前者の間でいろんな差が生まれているのですが
一番大きなポイントとしてこれを認識して欲しい。
前者後者の最大の特徴差です。
そもそも「ふつう」という言葉の意味が
前者と後者で決定的に違うのです。
前者はわりと当たり前に使いますが
後者から、地雷的な反応されて 戸惑うことありませんか?
後者の皆さんは、実際イラッとしていますよね。
後者の「ふつう」については後述しますが
ともかく、前者には「ふつう」(=平均値?最大公約数?)
が本当にわかります。
そういうシステムだからです。
なぜなら…
フォルダ分けで 情報を整理
↓なので
各データを フォルダごとに振り分けられ溜まる
↓すると
溜まったデータの「平均値」(ないし公約数) が計算可能
(勝手に算出)
だから、
前者は全員、これが当たり前にわかります
というか誰もが持っている
人類の初期装備 だと思っています。
※
データ元は、個人が間接的・直接的に経験した全データです。
そういう意味では「個人の経験によるふつう」なんですが
バックデータで計算された「純データとしてのふつう」なんです。
経験的な勘とマーケティングのデータの違いといえるでしょうか。
本当に無意識に当たり前にやっていますので
自覚すらないかもしれません。
でも、あらゆることに関して
「りんごのふつう」
「コップのふつう」
「〇〇というシチュエーションのふつう」
「〇〇という状態のふつう」
などのバックデータが前者にはあるのです。
そして常に更新され続けている。
その掛け算の集合体が
「その場、その条件のふつう」
だから前者の言っている「ふつう」は
ただのデータ平均値のことで、
後者からすると「びっくりするくらいその程度の話」だし
常に変化している 連続的、条件的なものです。
ちなみにそれ(計算値の集合体)が
①認識の仕方 の違いに出てきた
「シミュレーション盤」の構成データです。
これはワンセットの機能です。
そして繰り返しますが
前者はこれを【全人類の初期装備】だと思っています。
(人類の半分以上が違うけど)
ほかには、仕組み上 こんな傾向が 言えます。
とはいえ、
・ 仕分けのイメージは、フォルダ、箱、袋…と人それぞれ
・ 抽象度のレベル、キャパ、一時置き場と格納のバランスも人それぞれ
なので、そこの感覚は個人差もありますからね。
「この説明が絶対的に当てはまるかどうか」
という 1対1の感覚ではなく
「後者との違い」
という比較の視点で捉えてもらえると
理解しやすいかなと思います。
※
たとえば知的障害や、発達障害やアスペルガーなどの要素が、こういうところにどう関わっているかは不明ですが、あくまで質や アウトプットの癖の差に出るだけで構造自体は変わらないという予想です。
後者の脳内をひとことでいうと、
宇宙状態です。
情報が「しまわれて」いません。
グルーピングはありますが
いろんな 固有情報が 全部「表」にむき出しです。
カテゴリーに放り込むのではなく
「物体」とか個別の事象の側にラベルがつくイメージ。
それがそのまま宇宙に放り込まれる。
前者は「カテゴリー名」で情報を軽く扱えますが
(中身は無視可能)
後者の場合、 すべての固有情報が
「自分」というメインシステムに直結。
前者が支社いっぱい
システムが分散的で間接的なのに対し
後者は本社のみ。
「自分」による、メインシステム直接統括
ともいえるでしょうか。
大枠で説明するとこうで、
こまかくは後者の中にも実は大きく差がありますが
(脳タイプ参照)
ともかく、
「情報がハコに溜まる」という感覚は一切ありません。
常に自分を中心に 指示系統が編まれています
*
後者も もちろん、ただ泳がせておくのではなく
情報を 効率的にコントロールしようとするわけですが
そこでは
自分との情報との繋がりや
情報同士のつながりの必然性や本質性 が
重要になっていきます。
情報の連携に「必然性」があるからです。
そうするとどんどん枝を伸ばしていける。
ただ、この情報の編み方は
論理性も関係はしていますが
個人個人の「経験」と「納得」に沿って出来上がっています。
自分が扱うにはパワフルですが
前者に比べると「軽い共有」というものができません。
また、これはある程度意識的につくらないと
自己コントロールができません。
となると「どうつくるか」に
受けた教育 と本 人の意思による影響が
かなり大きく関係してきます。
後者のほうが教育による
人生への影響度が高いと思っています。
そしてそういうシステムですから
前者と違って
というか 発想がありません。
「箱に溜まった情報の平均値」
というような想定が存在しないからです。
逆に、後者のシステムでの「ふつう」は
個別の経験を超えた共通項…
「普遍」とか「理想」とか「問答無用に固定の何か」
(例:殴られたら痛い、真善美、葬式のマナー・・・)
です。
だから前者に「ふつうは」と言われたら
なんでこいつは宗教戦争を仕掛けてくるんだ?
と不思議に思います。
同一系列層 (例「うちの~」「日本の~」「世界の~」)での「ふつう」は1つですし
棲み分けなしに「ふつう」を主張するなら
完全にバトルになるからです。
後者の傾向としては、他にこんなことが言えます
前者と後者の「ふつう」のバトルは
「社会感覚の違い」もぜひ参考ください。
人間関係の謎が解けますよ!