前提の違い①人間観

地続きなのか/島なのか

 常に地上にいる前者

自分の世界を住処にしている後者

参照:②時間・空間感覚の違い

 

この2タイプでは

対人関係、人間関係に対するイメージが大きく異なります。

 

なにせ自分だけでなく
「人間はみんなそう」と思っていますからね。


そりゃイメージする世界観が変わって当然だろうと思います。

 

だからたとえば

なんで連絡をくれないんだろう

このセリフや行動はどういう意味?

何を考えているの?

え、なんでそんなふうに受け取るの?

 

こんな日常的な疑問にも
お互いの、すごく素朴な基礎感覚の違いが根っこにあったりします。


もちろんケースバイケースに
いろんなことはあるのでしょうが

話していて

「何かが 大きく食い違っている」
「何かが通じている気がしない」


と感じた場合は
この前者後者的な視点が、有効かもしれません。

 

 

a.前者の人間観 どこまでも地続きでつながった世界

 

前者の感覚では、人は社会という地上(大陸)を共有している存在 です。

 

世界は一つ。

社会はゲーム盤いろいろ

 

だから、人と人の関係は 例えるなら「町や村」同士のようなものでしょうか。

 

町があれば「道があるのが当然」だし、道があれば「何かしらが交流」しているのが前提です。

 前者の感覚ではそんな風に「人と人は常につながっている」のです。

 

 

そういう世界観では 周囲の事件は 常に自分に関わっています。

(盤上に「関係のないこと」なんてない)

 

だから 前者は平和維持活動や & 場のパワーバランスに 常に気を使っています。
それは前者にとっては、呼吸レベルの自然な生存戦略です。

 

 

また、そういう世界観ですから、その社会(ゲーム盤)でしくじることは、生存場所(自分を成り立たせる関係や条件)をなくすこととイコールです。

それは前者にとっては本能的な恐怖なのです。

 

 

また前者は そこに参加・存在し続けるのに「条件が必要」という感覚もベースにあったりして

(ゲームに参加するならゲームをしなきゃいけないように)

 

 

「無条件の安心感・存在肯定感」

みたいなものの感覚は、後者に比べて圧倒的に薄めです。

 

 

 

そして前者は、自分に見えている盤上の不幸は自分の責任な気がしてしまう。

罪悪感を感じてしまうので基本は平和志向です。

 

 

常に手の届く範囲や大事なものを気にかけ

継続的な平和維持活動「具体的に」おこなっている=DOする。 

 

そうやって保守運営、ないし次のステップへの建築に 自然に努めている。

 

 

前者はそういう

「常に」「いつも」絶え間ないバランス調整

「Do」を通貨とした世界で生きています。

 

 

 

 

■対人関係の感覚

 

  

町や村があれば道はあるし、道があれば 交流はあって当たり前です。

 

むしろ「ない」ほうが不自然。

(意図的に断っている、くらいの感覚)

 

そんな前者の世界では、交流そのものは加点ゼロです。

大事なのは、その交流で「何が」「どれだけ」行き来しているか。

 

 

親善関係にある国や町同士みたいに

「良いモノを沢山交流させること」が友好や愛情の「証明」です。

 

大事な相手には「普段 誰にでもしていることの ランクを上げる」

そんなイメージでしょうか。

 

 

また、何かあれば「味方になる」「味方であることを宣言する」

これが友好関係の証明そのものです。

 

 

そして、それは「行動」「言葉」のような

”具体的に見えるモノ”

”外から客観的にわかる行為” 

として示すことが大事なのです。 

 

 

だから前者の世界では、

 

・相手からのアクションがない

・交流が途切れる

・行為に対する承認がない

 

ということは、そのこと自体の不満以上に

 

「私に愛情がない」というサインや、 

「自分をないがしろにする」意図的なアクション

 

のように受け取りがちなのです。

 

 

 

例えば・・・

 

 

・したことをスルーされる

⇒「気に入らなかったのかな?」と考えて更に頑張ったり、一方的になり過ぎて「都合よく使われてるだけなのでは」と感じてしまう

  

・反応がない、交流や通信が途切れる感じがする

⇒門を閉ざされ、締め出されているかのように感じてしまう

 

・(結果として)自分が不快になるようなことをされる

⇒「怒らせるような何かしたっけ?」「攻撃宣言?」と感じたり、その不注意さ自体を「私を軽んじてるのでは」と勘繰ってしまう(思いこむわけではないが、そう感じてしまう)

 

・困った時にはっきり味方にならない

⇒ 裏切り

 

  

 

そこから補正をかけたりはするでしょうが まずはそう感じるのです。

 

 

そしてこの感覚が後者と通じ合わない。

そのことの傷ついたり、怒ったり、諦めたり、すねたりしています。 

 

 

 

b.後者の人間観 海と地底は共有する 独立文化圏

一方後者はというと。

 

人は「海に浮かぶ島」のようなもの

という感覚でいます。

 

 

基本的に島同士は海で隔てられて自然独立です。

 

 

だから「人と人は普段はつながっていない」(道はない)のが基本状態です。

 

 

それぞれの島にそれぞれの文化や事情がある。

「人の島のことは人の島のこと」という感覚がベースです。

 

困ったときや 助けを求められたら協力はしますし、近海を汚すヤツのことは怒りますけども。

 (どこまでを近海と思うかは人による)

 

 

 

逆に 交流は 常に「意識的な行為」です。

 

 

なにせ島から出るには、橋をかけたり船を出したりして、ある種の特別な労力をかける必要があります

(慣れれば流れ作業にはなっていきます)

 

島から出るのは何か「用」があるからだし、用が終われば家に帰るのが当たり前。

橋や船を引っ込めて「ふーやれやれ」と戻っていきます。

 

なにせそうやって島で充電しないとエネルギーがなくなってしまいますし。

  

 

そんな後者の交流動機=「用」は 必要物資の確保(仕方なく) か「世界を広げたい」

世界を広げたい、とはつまり 「一人じゃつまらない」ということです。

 

独立で成り立ってるけど、そのままじゃ生態系が閉じちゃうし、もっと広い世界を知りたい。

自分の世界も知ってもらいたい。

 

「世界観の交流」がコミュニケーションの目的です

 

 

プレゼントで「自分の好きなもの」を贈る人がいますが、あれは前者後者的な視点で言えば、「自分の島=世界の特産物」の贈呈・紹介なのです。

友好の証なのでもちろん気に入ってもらいたいですが、実はそれ自体が最善の目的ではなかったりします(やっている人は無意識でしょうが)。

 

 

 

あと、「島」なので海の上では離れていますが地下ってつながっていますよね。

 

その「無条件につながっている」という感覚も、後者にはあまり自覚ないですが(当たり前なので)

しかし前者にはないものだったりします。

 

  

 

 

また後者の特徴として

 

自分の動機以外で島から出る時はコンパスがない状態に等しく

目標や意味や手がかりがないと パフォーマンスがだだ下がりします。

 

なので後者はよく「なんで?(=なんのために?)(=それで私orみんなにどんないいことがあるの?)(=そのことと私の関連は?)」と聞くのです。

 

 

 

以上がまずは後者の人間観です。

 

 

 

 

■対人関係

  

さて、そんな後者の感覚では

エネルギーをかけて「どうでもいいところ」に行きたくありません。

(探索的航海はしますが)

 

橋をかけ架け船を出して

「わざわざ」出向くのは、興味のある所だけ です。

 

 

また、後者の「島」はよくも悪くも、近くにいる相手とは地下がつながってしまうので、嫌な相手のそばにはいたくありません。 

不快な相手との近海の共有もできればしたくありません。

 

 

だから後者には「交流を結ぼうとする意思」「側にいる事実」そのもの

 

「あなたと関係性を結びたい」

「あなたとつながるのが快である」

 

という 意や関心の証明です。

 

 ※純粋な加点であって、そうでないからといって別に減点の証明ではない

 

 

 

それは後者の感覚では 言うまでもない「当たり前」の前提です。 

だからそれが伝わらないのが、むしろ不思議だったりします。

 

 

また後者の代表的好意の表し方としては他に、

 

「自分の世界に入れてあげる」

「相手から得た何かを島に持ち帰る」

 

といった

 

 

“相手の世界の何かを 自分の島=世界に受け入れる”

 

というのも

 

最大級の敬意や好意や信頼の証(の結果)です。

 (不要なものは自分の島が汚れるので持ち帰らない)

 

※ただし、受け入れ方がわからなくて持ち帰れないこともよくあります

 

 

 

自分やお互いの「Be」のあり方がどうか、というのが後者の人間関係の前提です。

 

 

 

 

■後者のつまずき

 

 

交流が意識的であり、「自然でない」ということは、そこに技術が必要だということでです。

橋をかけたり船を出すにあたっては「慣れ」「コツ」「勘」「度胸」「技術」がある程度必要です。

 

できれば技術を伝承してもらいながら

失敗しつつ、成功しつつ、回数をこなしていかないとうまくなりません。

 

 

しかし、後者の中にはこれが下手な人や上手くない人や訓練されてない人も多く

橋が途中で壊れたり、座礁したり、タイミングがまずかったり、スムーズに人と交流できないケースが多々あります。

 

 

そしてつまずくと

 

怖いから自分の世界に引きこもってしまい

またそれが精神的に耐えられるため

 

低満足状態でジリ貧し、大事な技術が上がらないままになる

という悪循環が起きます。

 

 

周りの人は大変でしょうが、むしろ技術ゼロで島ごと体当りしてくる人のほうが、まだ生きる目があったりします。

(愛嬌や力のある人なら許されるでしょう)

 

 

 

 

■後者の注意する習性

 

 

 後者は「地下がつながっている」ため、

どこか 他人を「自分と地続きの存在」のように感じています

 

つながる=Be の共有ですからね。

 

 

その強みや安心感はあるのですが

 

いっぽうで、他人との境界が甘くなりがちでもあります。

 

 

後者は自分をちゃんと律しないと、いつの間にか

 「相手の島」を自分の島かのように扱い始めます

 

 

相手が「他人」だということを忘れるのです。

 

 

この侵略を許すと際限なく押し込まれるので

こういう態度への「線引き」はとても大事です。

 

必要なら殴って(比喩)

目を覚まさせる必要があります。

 

それが本人のためでもあり

健全な交流関係に必要なことでもあります。

 

 

 

親しき仲にも礼儀あり 

後者が胸に刻まないとならない金言の一つです。 

 

 

 

 

c.起きがちなすれ違い 陸と島の違い

 

 

この違いに由来する すれ違いの

代表を1つ紹介します。

 

それは 親しくなった時の態度の変化 です。

 

  

前出のように前者は、

 

大切な相手には 交流の量と質を上げる ことで それを証明します。

 

 

親しくなった相手とは

・具体的な交流がいっぱい増えることを期待しています。

・他の誰ともやっていることの質を、お互いにだけちょっと「特別」にします。

・感情や本音を少しずつ漏らしてきます。(これはだいぶ深い関係)

 

 

 

そんな前者には好意や、感謝や、褒めや

あるいは誤解してるだろうことを

ちゃんと口にして伝えること がとても大事です。

 

ささやかに見せた 素の感情を

いったん拾って受け止めてあげることも大事です。

 

 

 

 

しかし一方「島」の後者は、

 

仲良くなりたい時の行動は同じかもしれませんが

(行動の洗練され具合は置いておいて)

 

 

親しくない相手には「お客様対応」

親しみを感じた相手は「名誉島民 扱い」→ 素になる

  

が基本原理です。

 

 

親しくなった相手には

・お客様対応のときのような、線の引き方をしない

・安心して「スイッチオフ」

・何より大事にしている自分の世界へ、招待したりフリーパス発行(最大級)

 

 

 

気遣いやサービスが好意なのは後者も一緒ですが

それはあくまで

「島の外用」に頑張って「外交」している状態です。

 

 

だから親しくなると「素」を出してきます(自動的に)。

軽んじているわけではなく、信頼や好意なのです。

 

無理をせず側にいさせてもらえる相手は

大事な存在です。

 

 

仕事関係だと、信頼するほど

 任せて一任

 

ある意味、勝手に背中を任せて

…任せっぱなしにしてしまったりします。

 

 

 

しかし、そうすると何がおきるかというと、

 

親しくなって来た時に

 

前者がサービスの質を上げてくるのに対して、

 

後者は結果的に サービスの質が落ちていきます

 

  

これは好意について

 

親愛の証(do)を 見せる前者 

信頼の結果(be)を 見せる後者 

の差でもあります。

 

 

そして後者の良くないところなのですが、

「言わなくても通じる」と勝手に感じてしまい

(つながっている=自分の一部だから)

 

「好意や信頼があるからこそ」の部分を

積極的に口にしなくなります。

 

 

 

このバッティングが起きるために、

 

 

前者側からは

 

後者の態度が

非常に不誠実/冷たいように見えます。

 

サービスの有無そのものよりも

愛情や友好関係に対する

不安や、不満、不信感を与えるのです

 

 

後者側からすると

 

サービスはうれしいけども

いつまでも気を許されていないように感じる。

 

beでつながれなくてちょっと気疲れする

という面もあるかもしれません。

 

 

 

 

もちろん、前者も後者も これが全てではありません。

 

ここで挙げた前者的な感覚、後者的な感覚が

お互いゼロというわけでもないでしょう。

 

でもよくあるテンプレとして

知っておいてよいかと思います。

 

 

当社比では

 

 前者女性×後者男性の間

このすれ違いが頻繁に起きているように感じます。

 (前者男性と後者女性だと、もう少しお互いの社会習性が中央に寄り合っている)

 

※次点のパターンでは後者上司×前者部下

 

 

 


 

以上です。

 

 

ながながと説明しましたが

「だから納得しろ」ということではありません。

 

相手の習性を理解すること

それを黙って受け入れることは別の話です。

 

 

無理なことや嫌なこと、して欲しいこと

わかって欲しいことは伝えればいいと思います。

 それがなんにせよ出発点です。

 

 

でもそもそもの発想や愛情

「よかれ」のカタチがお互い違う、

 

ということを理解しておけば

相手の気持ちについての誤解は減りますよね。

 

 

双方の感じ方をわかった上で話し合えば

通じることは多いのではないかと思います。